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音楽雑談ノート

/第12回 テンポ

 作曲の後、意外と難しいのが、全体の「テンポ」の設定だ。これは気分的な問題で、時と場合によって感じ方が変わる。これは「遅い」のか「速い」のかと。直前に聴いていたのがテンポの速い曲なら「遅く」感じるし、直前に聴いていたのがスローテンポなら「速く」感じる。これは同じ温度の水を「熱い」と感じるか「ぬるい」と感じるかの差と同じニュアンスである。
 精神状態でも変わる。朝寝起きのまま聴いてみたときと、昼間に聴いたときとはやはりテンポの感じ方が変わる。さて、どう設定するべきか。
 基本的に「脈拍」を考えてみればいい。心臓の鼓動に対してちょうど良いテンポを探すのだ。落ち着いたときに試行錯誤してみよう。

/第11回 ♯と♭の由来

 おなじみの♯と♭であるが、この記号の由来についてはあまり知られていない。♭が小文字のbに似ているとはお気づきであろうが、♭も♯もナチュラルもこのbに由来する。
 西洋音楽史をさかのぼって13世紀、まだ「ハニホヘトイロ」の7つの白鍵と「変ロ」の唯一の黒鍵しか使われていなかった頃の話だ。唯一の黒鍵をどう呼ぶかについて以下の方法が採られた。
 両者ともに「a」につづく音として「b」と呼ばれ、この二つを区別するために「ロ」には「四角のb(b quadratum)」 (実際の記述にはbを四角く記述する)と「変ロ」には「丸いb(b rotundum)」が用いられた。そして楽譜に「ロ」と読まれるべき音が出てきた場合は、その直前に「四角のb」を記述し、「変ロ」と読まれるべき場合には「丸いb」を記述したのである。
 そして時代の流れとともに、この記号は半音を上げ下げする意味を持つ記号として用いられるようになった。なお、この「四角のb」は「ロ」のドイツ音名である「h」に結びつく。この辺の詳細については以下の文献をお勧めする。

 (参考文献)東川清一著 「シャープとフラットのはなし」 音楽之友社

/第10回 僕の音楽観

 実は、僕は音楽を理論的に斬るのは嫌いである。このサイトの作者がこんなことを発言するのは問題かも知れない。けれど、これだけは言える。理論よりも実践が重要だと。コード理論を学んだばかりの人間がドミナントの呪縛から抜け出せないのを見ると可哀相になる。理論主義の人には申し訳ないが、そのやり方ではヒット曲のマネをしてるだけに過ぎないと僕は思う。
 だから、理論は初心者のために用意された入り口だと思っている。音楽にしろ美術にしろ、この漠然とした世界を理解するために整えられたアスファルトの道路が、この理論だと思う。一流になるには自分で道を開拓しなくてはならない。

/第9回 作曲の勧め(その2)

 前回、少し抽象的な説明をしたので、今回から具体的な解説をしていきたいと思う。はじめにメロディの作成についてである。今回は、最も基本的な部分について解説していきたい。
 メロディの3要素、それは「反復・展開・対比」である。まずは有名なベートーベンの「喜びの歌」を口ずさんでほしい。
  a ミミファソ ソファミレ  ドドレミ   ミレレ
  a’ミミファソ ソファミレ  ドドレミ   レドド
  b レレミド  レミファミド レミファミレ ドレソ
  a’ミミファソ ソファミレ  ドドレミ   レドド 
 楽式にもつながることであるが、aに対しa'は「展開」にあたる。最後の小節が若干違うだけであとの部分は同じである。a'も2回「反復」し、これにより冒頭の「ミミファソソファミレ~」の部分を聴く側に強く印象づけている。しかし、それでは単調になってしまうので、bの「対比」部分でバランスを保っているわけだ。この辺は音楽の授業で学んだ範囲であると思う。
 次にメロディの音の運び方である。単純なアプローチとして順次進行と跳躍進行がある。順次進行は通常3度未満の音の進行を指し、横方向に広がりを生む。一方、跳躍進行は3度以上の音の進行で、縦方向の広がりを生む。曲想に応じて使い分けたり、複合的に用いることで効果的な表現が可能になる。
 最後に「動機」について述べておこう。これは楽曲を構成する最も小さな単位である。これををどう発展させていくかが重要なキーになる。ベートーベンの交響曲第5番の「ジャジャジャジャーン」という「動機」は第1楽章のみならず全楽章において姿を変えながら登場する。曲をそれなりにまとめるためには、この「動機」をハッキリさせておくことから始めなくてはならない。もちろんメロディに限らずハーモニーやリズムの面においても同様である。
 前回「4小節からはじめよう」と書いたが、この中にあなたの「動機」が含まれるか否かによって曲のレベルは変わってくる。
 良い旋律とは何か。ここに「名曲の旋律学(音楽之友社)」という書籍がある。これは実際に名曲の旋律を分析し、主題構造についてを解説している本で中々興味深いが、少々内容が難しいので初心者にはお勧めできない。が、音楽的教養のある方であれば読んでみてもいいかも知れない。

 (紹介書籍)「The Thematic Process in Music」Rudolph Reti著 音楽之友社

/第8回 作曲の勧め(その1)

 音楽を作るということは絵を描くことに等しい。もちろん、音楽と絵画では描き方や出来上がるモノは違うけれど、抱く感覚は同じと考えていい。
 音楽の3つの要素。ご存知のようにメロディ、ハーモニー、リズムの3つである。このうち、メロディが下絵にあたる。鉛筆でキャンパスに輪郭を引いていく。そんな感じだ。これは比較的上手く描ける。そして上手いか下手かを決定するのが「彩色」である。これは音楽でいうと「ハーモニー」にあたる。

 ハーモニーを和訳すると「和声」となるが、もっと単純に言えば和音のことである。メロディに対して和音をどうつけるかで、その作品の印象は決まる。作曲を本格的にやるようになると「和声法」と「対位法」という分厚いテキストが待ち構えているが、最初からそこまでやる必要はない。一言加えておくと、例えば、寒色で描かれた絵と暖色で描かれた絵では、明らかに見る側の印象に違いが生ずる。音楽の場合も同様で、どのように音を置くかによって印象は変わるのである。長い間音楽をやっていると音に色の印象が結びつくが、この配置にはある程度のセンスが必要だ。自信がなければポピュラーコード進行のガイドブックでも参照すればいい。

 そして、リズム。これは「大きさ」だ。物に大きさがなければそこに存在し得ない。同じように音楽にとってリズムは最低条件である。また、リズムの定義は広いので単純に「打楽器による云々」と考えないで欲しい。メロディの中にもハーモニーの中にもリズムは含まれるからだ。

 まずは4小節からはじめよう。納得がいくまで作り上げて欲しい。そのなかからどんな参考書にもない自分だけの作曲法が見出せるはずである。

/第7回 クラシック音楽の勧め

 「クラシック」という単語を翻訳してみると「古典的な」というのが一般的だが「最高水準の」という意味もあるのをご存知だろうか。数ある音楽ジャンルの中でもクラシックは芸術における最高水準のものであるというわけだ。
 しかし、この最高峰のものに触れてない人が多い。大部分は興味がない人であろうが一度は聴いてみる価値がある。
 現代のヒット曲は(例外もあるけど)せいぜい数年の命だが、クラシックは数十年から数百年も生き残っている音楽だ。それには理由があるはず。さらに有名なミュージシャンもクラシックに影響を受けていることが多い。
 では、どこから手をつければいいのか。ベートーベンやモーツァルトが定番として挙げられるが、ロックやポップスに慣れた人にとってはキツイかも知れない。そこでジャズとクラシックが融合した名曲を一つ紹介しよう。
 ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」だ。旋律が美しく、聴いたことのある人も多いことだろう。しかし、彼は管弦楽の手法について通じていなかったのでオーケストレーションはグロフェという作曲家が行っている。
 この曲ではジャズとクラシックが融合しているため、シンフォニックジャズと呼ばれるが、近現代になるとこのような融合が様々なジャンルで見られるようになる。

 さて、オーケストラの響きに慣れたら、次はロマン派の音楽を聴いてみよう。この時代は形式にとらわれない自然な感情表現が特徴だ。チャイコフスキーやメンデルスゾーン、ショパン、シューマンやブラームスなどがこの時代の作曲家である。

/第6回 音部記号の由来

 ト音記号やヘ音記号、ハ音記号は一見、不思議な形をしている。しかし長年見ていると、あたかもそれが当然という感覚になってしまっている。ここでひとつ形の由来について考えてみよう。
 ト、へ、ハはドイツ音名に直すと、それぞれG、F、Cとなる。そしてこれらの文字を図案化してみると、音部記号(clef)になるのだ。しかし、実際にそのように見えるだろうか?ト音記号は筆記体のGを思い浮かべてみよう。なんとなくそれらしく見えてくるはずだ。ヘ音記号は横の点を伸ばしてみるとFに見えるであろう。そして問題はハ音記号だ。そもそも存在すら知らないという人が多いが、Cを逆にしたようなものが縦に2つ並んでいる。この接点がハを表すのだが、どうみても普通のCには見えない。これは歴史上、どんどん形が変化していったためで、しかたない事実である。

/第5回 悪魔の音程

 2つの音の間隔を「音程(インターバル)」と呼ぶが、この音程の中で悪魔の音程と呼ばれるものがある。「ファ」から「シ」の間隔、すなわち増4度音程のことである。またはトリトヌス(三全音)とも呼ばれる。この音程が何故「悪魔」なのかといえば、正確な音の高さを取るのが難しいからである。特に声楽の世界では忌み嫌われた。これは完全4度と完全5度に挟まれるためと非常に不協和な和音であるために音をとりにくいのである。
 しかし、近現代の音楽においては減5度(異名同音的に)として頻繁に多様されるようになった。特に12音技法においては「半オクターブ」として重要視されている。
 ※増4度と減5度の違い…前者は「全+全+全」後者は「半+全+全+半」

/第4回 音と静寂

 音楽が終わった後の静寂、これは実は音楽と同じぐらい美しい。コンサートの後、拍手や歓声でこの静寂が奪われてしまうのは非常に残念だ。
 やや照明を落とし、ソファに楽な姿勢で腰掛けて、音楽を聴く。目をつぶっていてもいいし、天井の一角を眺めていてもいい。そして曲は終わり、訪れる静寂。何が思い出されるだろうか。
 いつか読んだ本にこう書かれていた。「音楽は静寂との対決である。静寂の美しさを超えようとして音楽は作られる。」

/第3回 あなたが納得する音楽の作り方

 主観と客観のお話
 しばらく楽典の話が続いたのでここで一息を入れよう。作曲のときにおける客観性の問題について話だ。少し難しそうに聞こえるかも知れないが、実は単純な話である。まず、ある作曲の手引きの一節を紹介しよう。
  ・数々の音楽データを聴いていると、単なる自己満足で終わっている
  作品が多く見受けられます。これらの曲は他者が聴いていて抱く不満
  を、作者自身は気がつかないということが多く、作者自身のアレンジ
  は悪化の一途をたどる可能性が高くなります。こういった曲を第三者
  がアレンジしてあげることで、多くの人が指摘した不満をある程度解
  消することができます。
   一方、だれもが納得する音楽作りをする人達は、この点において既
  に、自分で自分の曲の欠点を是正しているということができます。つ
  まり、自分の作曲した作品を客観的に分析できるということです。
 ここでいう客観的とは、自分が実現したい音が本当にそれであるかどうかを判断する一つの視点のことだ。そして実際、例えば自分が作った曲をしばらく時間を置いたのちに聴くと思わず「なんだ、これは?」と頭を抱えてしまうことがある。自分で書いたものに不満を持つのである。要するに作曲をしているときは「主観的」になっているので、その「調子にのっている」時の自分を、冷静な時の自分が嘲笑うわけだ。
 しかし、である。この嘲笑う状況が生まれればいい。というのは自分の音楽を何度も繰り返し聴いていると、その曲に慣れてしまい、欠点を見い出せなくなってしまう。これを他人が聴くと「なんだ、これは?」と苦笑してしまうのだ。これは意外とやっかいだ。
 そこで、例えば僕の場合、一通り曲が出来上がると、細かい調整などは後回しにしてしまう。そしてしばらくしてから調整作業に入る。そうすると和音やメロディの不自然な点に気がつく。そして是正した後、しばらく間を空ける。
 そうして自分の曲を改めて聴いてみる。さあ、どうか。
 ただ、自分の持つ客観性が他人に通ずるのかということにあまり神経質になる必要はない。音楽家に謙虚さや劣等感は必要ないからだ。「つまらない曲ですけど」と断ってある曲など聴く気がしないし、確かにつまらなく聞えてくる。音楽はその人個人の価値観が凝縮されたものである。つまり問題はこれを取り入れる側にある。聴く側に柔軟な姿勢があればどんな音楽でも活き活きと鳴り響くものだ。
 さて、拙作の曲はあなたにどう響くだろうか?

/第2回 同じ音? 違う音? ド♯とレ♭

 異名同音の話
 あなたは「ド」の♯と「レ」の♭は全く同じ音だ、と思ってはいないだろうか。「えっ」と思ったあなたは、楽典の純正律と平均律の項をもう一度眺めて欲しい。「異名同音」と呼ばれていてもわずかな「差」が存在するのである。
 55分割法というのがある。これは1オクタープを55コンマに分割するものだ。つまり全音は9/55に相当する。となると半音は4コンマか5コンマになるが、この4と5の1差について解説すると以下の通りになる。
  C−−4−C#−5−−−D
  C−5−−−D♭−−4−D
 要するにC#とD♭は1コンマの差があるのである。しかし、これらの差はわずかなものであり、これを鍵盤楽器で表現するとつまり黒鍵が倍になってしまう。そこで「平均律」という方法(シャープを高めに、フラットを低めにとる)で「同音」にしているのである。だからCの♯とDの♭は同じ音であっても「同じ」ではないのだ。
 補足)注釈…純正律において、C#とD♭ではC#の方が高いのだが、手元の資料(55分割法)によるとD♭の方が高いことになっている。この辺は現在調査中。

/第1回 なぜ「長調は明るく暖かく、短調は暗く冷たい」のだ?

 我々は長調の曲を聴くと「明るい、楽しい、暖かい」などといったプラス的感覚を覚える。逆に短調の曲であれば「暗い、悲しい、冷たい」などのマイナス的感覚を持つ。これはなぜだろうか。「だって、長調だから」じゃ答えにならない。「和音じゃないの?」と思ったら鋭い。音楽基礎テキストで見てきたように三和音には4つの種類がある。そのうち、基本的な「長三和音」と「短三和音」はそれぞれ「長調」と「短調」の性質を決定する重要な和音である。しかし、これでは説明にならない。
 正解は「楽典」の教科書の一番最初の部分にある「倍音」に求められる。倍音とは、
  「弦楽器や管楽器を演奏するとき、目的の高さの音が得られると同時に
  その整数倍の振動数の音が自然に発生する。例えば100ヘルツの音を
  奏すると200、300、400、500----ヘルツの音も付随して生ず
  る。この元の100ヘルツの音を基音といい、それ以外のものを倍音と
  呼ぶ」(音楽之友社「楽典」理論と実習より抜粋)
 つまり例えばCの音が鳴った場合、以下の音も同時に発するという事である。
   C   C G C E G B♭ C D E F♯ G
   基音 第2 3 4 5 6 7  8 9 10 11  12倍音
 この内、第2、4、8倍音はオクターブ関係なので聞き取りにくいが第3、5、7、9倍音は比較的聞き取りやすい。ここで注目してもらいたいのは第3、5倍音である。これらの音は「基音」とともに長三和音を構成する。つまり長三和音はここから派生したものと言える。そしてこの「長三和音」は非常によく協和する。つまり安定感がある。こうした安定した所に人間は一種のやすらぎを感じるわけだ。もちろん、音楽には和音だけでなく旋律や拍子といった他の要素もあるのでこれだけで片付けられない。しかし基本はここにある。
 最後に「安定」「やすらぎ」について補足しておこう。赤ん坊がパイプオルガンの音色に敏感だというのにご存知だろうか。赤ん坊はあの重厚なサウンドに反応し「落ち着く」らしいのだ。というのも母親の胎内では外の音がまるでパイプオルガンの音のように響くらしいのである。そしてまたパイプオルガンの音も多くの倍音を含んでいる。